平穏な時には、誰が行ってもそこそこに出来る。しかし嵐や危機に直面した時に、それを乗り切ることは、誰にでも出来ることではない。それは、企業も国も同じである。
終戦後の荒廃の中でも、今までに高度成長だ、大不況だ、バブルだと、いろいろな時期を乗り越えてきた。しかし、最近は相手をやっつける為だけの議論が多くはないだろうか。目の前の人をいくら議論でやっつけて勝っても、中身が国民の幸福に繋がるものでなければ、何の為の議論か意味がない。
いざという時には、命をかけても行うという決意と力量が必要である。私は、今あるいろいろな政治家育成の場を批判するつもりはないが、金をもらいながら勉強するというのでは、平穏無事のときの舵取りはできても、嵐の時に耐え得るであろうか。やはり学びの時から、全財産をはたいてでも、国家のためにという気構えが必要なように思う。
人は、誰でも自分がかわいい。だから、ある所から先は自分のために残そうと思うものである。しかしいったん腹を決める時、すべてをかける覚悟の上で行う時と、一部守り、つまり逃げ道を残した上で進む時とでは、ヒラメキやいざと言うときに発揮できる力に大いなる差が出ることを知らなければならない。